「夢」「目的」「意義」はなくとも。

夢、目的、意義。
これらの言葉を目にすると、これらの言葉を耳にすると、僕は違和感を抱く。
いや、違和感を抱く、というぬるいものではない。嫌い。かなり。

「それをすることの目的は何?」
「そのプロジェクトを実行することの意義は?」
「きみの夢は?志は?」

学生時代はそうでもなかったが、社会人となり、会社員としてから働き始めてから、
やたらとこの類の問いを受ける機会が増えた。

したり顔で、そういった発言をする人を見るたびに、つまらない大人だな・・・と、
相手に対して、そして大人である自分に対して、うんざりする。

なぜこんなにも嫌な気分になるんだろう?と一度考えてみたことがある。
そして、2つの理由に思い当たった。

1つは、そういう人に限って、「今」が全然楽しそうじゃない、ということ。

夢や目的、意義から物事を出発させる人というのは、言い換えると、先を見据え、そこから逆算をして物事を考えようとする人で、その試みに対しては、「ほう、しっかりしてるね」と思うところもないではない。ただ、「未来」に視線が向いているだけに、「今」が全然楽しそうに見えない。

一般的に、「今」を重視してると、場当たり的な人間と見なされ、蔑まされる。一方で、「未来」を重視していると、計画性があり、賢い大人だと捉われる風潮があるように感じる。

なぜ、そんなにも未来が好きなのだろう?

超がつくほどのせっかち人間である僕からすると、「未来」までは待てないし、「未来」があるのかどうかは不確かだし、「未来」が具体的にいつなのかよくわからないし、

つまり、とにかく待ちきれない。
先を見据えてなどいられない。「今」が、僕の、すべて。

そして、夢、目的、意義といった言葉を嫌う理由の2つ目は、義務的になってしまう、ということ。
「夢を追いかけます」「こういった目的で実施します」「このような意義があります」と口にした途端、それらは、ひどく義務的な意味合いを帯びてしまう。

 

僕は個人事業主としても働いているが、会社員としての側面も併せ持つ。職種としては人事であるため、新卒採用における面接官を勤める機会も少なからずある。

そして、学生さんが、志望動機や、入社後の夢を固い表情で語るのを目にするたびに、申し訳ない気持ちになる。暑いのに着慣れないスーツを着て大変だろうな・・・、と慮る時の
心情に似ている。

だから、僕が面接官をする際は、基本として、志望動機や夢などは訊かない。
そんなものに、これからの新しい人たちを、押し込めたくないと思う。

もっとも、そういった問いを面接官から投げかけられることは学生さんも100も承知なわけで、訊いたところで出来レースにしかなり得ない、というのも訊かない理由としてはあるわけだが。

 

とにかく、夢、目的、意義。これらの言葉が、ちょっともてはやされすぎなのではないか、と思う次第だ。

いいじゃないか。もっとふわふわっとしてても。
いいじゃないか。夢も目的も意義もなくても、「今」が、あれば。

 

小林 慎太郎

投稿者: 小林 慎太郎

1979 年東京都生まれ。立教大学社会学部卒。IT企業にて役員を務めるかたわら、自身の言葉や文字で想いを伝えることに対して苦手意識を持っている人を支援するため、ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供する<デンシンワークス>(dsworks.jp)を運営。 <著書>『ラブレターを代筆する日々を過ごす「僕」と、依頼をするどこかの「誰か」の話。』(インプレス社)