命のバトン

以前、NHKで放映された「自閉症の君が教えてくれたこと」という番組を観た。
東田直樹さんという重度の自閉症を持つ作家に密着したドキュメンタリーだ。

通常、自閉症の方は他者に自分の感情や意見を伝えることができないが、東田さんはパソコンのキーワードのような文字盤を使用することで、自身の感情や意見を伝えることができる稀有な存在とのこと。

番組の序盤、東田さんが発した一言を耳にした僕は、ある日のある人のことを思い出した。

昔、・・・昔といっても一年前くらいの話だが、僕は個人としての活動の一環として「傾聴サービス」というものをおこなっていた。

これは文字通り、人の悩みに、ただただひたすらに耳を傾けるというなんとも奥ゆかしいサービスだ。

ある日、渋谷にある喫茶店で、四十代の女性の相談者と僕は向き合っていた。

「結婚もしてないし、子供もいなくて、何だか親や世の中に申し訳なくて・・・」

相談者がもらした。

相談内容は別の事柄だったのたが、会話が途切れた際、ふと、そうもらした。

その時の僕は「そんなの関係ないですよ」くらいの言葉しかかけられなかったが、あの時の相談者が、番組を観て、東田さんの言葉を聴いてくれていればいいな、と思った。

「命は大切なものだからこそ、つなぐものではなく、完結するものだと考えている」

その言葉を聴いてくれていればいいな、と思った。

僕も、そうだと思う。
僕は結婚していて、二人の子供がいるが、でも、東田さんの意見に同意する。

結婚したくてもできない人がいれば、そもそも結婚をしない、という選択をとる人もいる。子供が欲しくてもできない人がいれば、そもそも子供はいらない、という選択をとる人もいる。

「命をつなぐ」「命のリレー」といったような言葉は、少なからず、そういう人たちを責め立てる響きを持つと僕は思う。

結婚しなくても、子供がいなくても、人がその一生をまっとうすれば、喜びや哀しみ、感動、感銘、驚き、癒し、気づき、何らかの感情や影響を他者に及ぼすことになる。

つまり、自分以外の誰かに何かを渡すことになる。
リレーとはそういうことだと思う。
バトンを渡す相手が、必ずしも子供である必要はない。
渡すものが必ずしも命である必要はない。

昔に比べれば随分と緩和されてきたのだろうが、それでも、今でも、結婚や出産はするべきもの、義務、という風潮があるような気がする。

僕は今、38歳。まだまだ若輩者だが、それでもここまで生きてきた感想として、楽ではない。普通に生きて、普通に死ぬだけでもなかなかに大変そうだ。自分の人生を完結するだけで十分ではないだろうか。

そして、完結させれば、きっと、どこかの誰かに、何かが渡る。
そう、思う。

このブログだって、そう。

アクセス数などあってないようなものだし、毒にも薬にもならないかもしれないけれど、それでも、ルノアールの片隅で書いているこの文章が、世の中のはしっこで生きる、どこかの誰かに届き、その人にとっての喜びなり癒し、気づきになるかもしれない。なってほしい。そう思って書いている。

でも、いずれは市川海老蔵なみのアクセスになってほしいとも思う・・・。

そんなことを考えさせられた番組だった。

 

小林 慎太郎

投稿者: 小林 慎太郎

1979 年東京都生まれ。立教大学社会学部卒。IT企業にて会社員として勤めるかたわら、自身の言葉や文字で想いを伝えることに対して苦手意識を持っている人を支援するため、ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供する<デンシンワークス>(dsworks.jp)を運営。 <著書>『ラブレターを代筆する日々を過ごす「僕」と、依頼をするどこかの「誰か」の話。』(インプレス社)