『ワンダーウーマン』観る価値はありやなしや

『ワンダーウーマン』。絶対的なフォーマットがあるMARVEL映画。

●主人公は特別な力を持つことのない普通の人(本作の場合は、王女の家系なので、出自は普通ではないが)。

●そして、ある日を境に、スーパーパワーを手にする。

●パワーを手にした当初はイケイケドンドン。

●強敵、ないしは困難な状況にあたり、挫折。

●友人や恋人の励ましをきっかけに復活。

●スーパーパワー増加。強敵バーン。

●キスシーン、ないし、空をキーン!と飛んで、THE END。

ざっくり記すと、MARVEL映画は、おおよそ、こんな流れだろうか。

そして、この流れにのっとった『ワンダーウーマン』が面白かったかどうかで
云うと、期待は裏切らないが、予想を超えることもない。甘からず、辛からず。ふむぅ、という感じ。

なんというか、全体として、少し精神性なりシリアスさを盛り込もうとしすぎているのではないかと思った。特にオープニング。

二次会でカラオケへと流れ、ノリノリの曲で騒ごうと思っていたら、一曲目に郷ひろみの『言えないよ』を入れられたような肩透かし(『言えないよ』は、個人的には十八番だが)。もちろん、登場人物へ感情移入させるためにはそういう要素も必要なのだろうけど、観衆は、少なくとも僕は、MARVELにそれを求めてはいない。

MARVELには、ぶれることなく、明るく、楽しく、スカーン!としていてほしい。情緒や湿っぽさはいらない。

そう考えると、『ワンダーウーマン』の読後感が、ふむぅ、だったのは、王道からひとひねりして、求められていない要素を入れようとしてしまったところにあるのではないか、という結論に行き着く。

求められていない要素を入れたくなる気持ちはわかる。僕も、昨年にはじめての書籍を出版させてもらった際、肩に力が入ったのと、自分の中にある「本」の像にとらわれすぎて、構成段階では影も形もなかった文学性(正しくは、文学性風味)を出し、結果として、「こういうの求めてないから!」と編集者に一蹴、一笑に付された苦い経験がある。

それはさておき、結論として、「じゃあ、『ワンダーウーマンは』お金を出してまで観る価値はない?」と問われれば、僕はこう答える、「いや、ある」と。

主演であるガル・ガドットの美しい姿を2時間半、大画面で鑑賞できるだけでも、お金を出す価値はある、と。

 

 

小林 慎太郎

投稿者: 小林 慎太郎

1979 年東京都生まれ。立教大学社会学部卒。IT企業にて会社員として勤めるかたわら、自身の言葉や文字で想いを伝えることに対して苦手意識を持っている人を支援するため、ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供する<デンシンワークス>(dsworks.jp)を運営。 <著書>『ラブレターを代筆する日々を過ごす「僕」と、依頼をするどこかの「誰か」の話。』(インプレス社)