安室奈美恵の引退と『SWEET 19 BLUES』

安室奈美恵の引退に際し、「潔い引き際」「かっこいい」という声が聞かれるが、僕は、ちょっと違う感想を抱いた。語弊があるかもしれなしが、怖さ、のようなものを感じた。

特別、安室奈美恵に対して強い思い入れがあるわけではないが、ほぼ同年齢ということもあり、否が応にも、彼女の活躍をデビュー当時から目にしてきた。SUPER MONKEY’S、アムラー現象、小室プロデュースを経て、確固たるシンガーとしての地位を確立する現在まで、道はまったく違うが、同じ時代を生きてきた。

彼女の引退をネットニュースで知った時、え?あれから21年もやってきてんの・・・、と、彼女の歩んできた道のりを思い、おそろしくなった。

僕が彼女の歌をしっかり聞いたのは、『SWEET 19 BLUES』というアルバムから。TKこと小室哲哉プロデュースで、当時19歳ながら、既に彼女は頂点にいた。そして、それから数年の間に、彼女の身に降りかかったいくつかの不幸や困難も、テレビやニュースで流れた程度のことは知っている。表に出てくるものなどはたかがしれたもので、頂点にいる者の宿命、という言葉では了承できない事柄が、裏ではたくさんあったことだろう。

良いニュース、そうでないニュース含め、彼女に関するニュースを目にするたびに、なんだか大変そうだな・・・と、ぼんやりと思っていた。

そして先日、40歳を機に引退するというニュースに触れた時、『SWEET 19 BLUES』から21年も頂点に立ち尽くし、頂点にいるが故の哀歓をひとりで超えてきたのかと思うと、怖さ、を感じた。

そして、それと同時に、巨大なダムの底を覗きこむような、圧倒的な、深遠、孤高、美しさを感じた。

「潔い」というのは、本来の意味はどうあれ、語感としては、道の途中で立ち止まるなり、方向を変える、という響きがあるが、彼女にはそれは当てはまらない。歩きに歩いた。もはや、道の途中ではない。だから、「潔い」という言葉は、妥当ではないと感じる。

彼女は、とうに、常人の一生分は歩き終えた、と思う。
だから、「潔い」ではない。

「お疲れ様でした」と、僕は声を掛けたい。

 

小林 慎太郎

投稿者: 小林 慎太郎

1979 年東京都生まれ。立教大学社会学部卒。IT企業にて会社員として勤めるかたわら、自身の言葉や文字で想いを伝えることに対して苦手意識を持っている人を支援するため、ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供する<デンシンワークス>(dsworks.jp)を運営。 <著書>『ラブレターを代筆する日々を過ごす「僕」と、依頼をするどこかの「誰か」の話。』(インプレス社)