『やれたかも委員会』 吉田貴司(著)

正直なところ、『やれたかも委員会』というタイトルの響きから、下世話な内容を想像していたが、読後感は違った。良い意味で、裏切られた。青春小説を読み終えた時のような、もしくは、モヒートの表面を漂うミントの葉の香りを吸い込んだ時のような、そんな心持ちになった。

内容としては、タイトル通り、様々な「やれたかもしれない」エピソードを綴ったものだが、不思議と、下卑た匂いが一切しない。それは、登場人物ひとりひとりが、他者から見れば滑稽なほどに、「やれかたもしれない」瞬間に対して真摯に向き合っているからだろう。

また、本書の優れているところは、何と言っても、「やれた」でもなく、「やれなかったでも」なく、「やれたかも」という場面を切り取ったことにあるだろう。これは、満開の桜ではなく、散りゆく桜の姿に美徳を感じる日本人ならではの感覚なのかもしれないが、「やれかたも」に着目した時点で、勝負はついた。

誰しもが、ひとつやふたつの「やれたかも」を持っているから、読み進めるうちに、「ああ、あの時ああしておけば・・・」「あれってもしかして・・・」と自身の体験と重ね合わせ、深く共感をすることになる。

また、エピソードの中には、自身の体験とシンクロしないものも当然あるが、それでも、「バカ、そこは絶対イケるだろ!」「ああ・・・、なんでそこで躊躇しちゃうかな」と、自分のことは棚に上げ、冒険譚を見る子供のような感情の起伏を味わうことができる。

過分な表現ではなく、本書は「発明」だと思う。収められたエピソードには、読者から寄せられたものもあるようだけれど、人それぞれに人格や人生があるように、「やれたかも」しれない場面も、それぞれにある。つまり、募れば、エピソードが尽きることはない。

「やれたかも」を切り取る感性、そして、果てることのない金脈を見つけた著書に対して、嫉妬と羨望しか持ち得ない。

 

 

小林 慎太郎

投稿者: 小林 慎太郎

1979 年東京都生まれ。立教大学社会学部卒。IT企業にて会社員として勤めるかたわら、自身の言葉や文字で想いを伝えることに対して苦手意識を持っている人を支援するため、ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供する<デンシンワークス>(dsworks.jp)を運営。 <著書>『ラブレターを代筆する日々を過ごす「僕」と、依頼をするどこかの「誰か」の話。』(インプレス社)