『深夜特急〈1〉香港・マカオ』 沢木 耕太郎 (著)

本書を手に取ったのは2回目。1回目は発売された当初だから、20年以上前のことになる。
父から薦められ、読んだ。父はよほどこの本が気に入ったようで、それから数か月後、本の舞台となっている香港へと家族旅行へと出掛けたほどだ。

父ほどではなかったが、20年以上前にこの本を読み終えた直後、僕の心と身体は微熱を帯びていた。沢木青年が旅した香港・マカオの熱気、湿気に身を浸し、彼が目にしたいかがわしくも美しい香港の夜景を、目を閉じて夢想した。当時、日本どころか東京すら出たことのない僕は、今すぐに、どこかへ出発したい衝動へと駆られた。

それから20年を経て、本書を閉じた時、こう思った。
変わってしまったな、と。

変わったのは沢木青年ではない。もちろん、香港・マカオでもない。
自分だ。自分が変わった。

沢木青年が香港へと旅立つ際、格安飛行機に搭乗し、飛行機がひどく揺れるくだりがあるのだが、そのくだりでは「こわいな。やっぱり高くてもちゃんとした飛行会社がいいな・・・」と怯え、マカオのカジノでギャンブルに興じる場面では「うわ、そんなに賭けてどうすんのさ」とあきれ、最後、船の甲板上で一夜を過ごす文面に触れた際には「寒そう・・・」と同情した。

出てくる感想、すべてが保守的だった。
読み物として魅力的だったのは20年前も今回も同様だが、かつての自分を覆った、あの微熱は消え失せていた。

 

十代の僕にとって、『深夜特急』はノンフィクションだった。自分が生きているのと同じ世界、同じ時間の中で起きている”事実”だった。自分にも起こり得る、と思った。
でも、38歳の僕は違った。『深夜特急』は小説だった。自分の世界では起こり得ない物語。第三者として、遠くから、眺めているだけの世界だった。

 

ちなみに。父は今70歳なので、この本を読み、香港への旅行を決めたのは50歳くらいの頃だ。

旅行は、ごく普通のものだった。ショッピングをしたり、屋台でご飯を食べたり、タイガーバームガーデンを観光したり。

ただ、明日が帰国日という夜、父が突然、「ちょっとフェリーに乗ってくる」とひとりで足早に部屋を出て行った。フェリーとは、沢木青年も乗った香港と九龍島とを航行するフェリーのことだ。

「まったく、相変わらずマイペースね」

父が出ていったあと、母はあきれたようにつぶやいた。
家族旅行なのにひとりで出ていくって自分勝手だな、と僕も思った。

でも、今考えると、あの時の父の行動は、マイペースとも、自分勝手とも、ちょっと違う気がする。

50歳。家庭もあり仕事もある。沢木青年のように、目的を定めることなく、ふらりと、長期間旅に出ることなどできない。それでも、少しでも、一瞬でも、現実から距離を置きたい。非日常に身を委ねたい。つまり、あの時の父の行動は、ささやかな『深夜特急』だったのだと、今ならわかる気がする。

ちなみに、僕らがベッドに入って2,30分ほど経った頃、父が帰ってきた。

暗闇の中、家族を起こさないよう静かに部屋へと足を踏み入れた父は、そのまま、窓脇に置かれたソファへと腰をかけ、煙草に火をつけた。

煙を吐き出す音が、定期的に、部屋に響く。
気のせいか、ため息のようにも聞こえた。

 

あの時、父は、フェリーの上で、ひとり波に揺られながら、何を目にし、何を考えたのだろうか。

38歳の僕には、まだ、わからない。

 

 

小林 慎太郎

投稿者: 小林 慎太郎

1979 年東京都生まれ。立教大学社会学部卒。IT企業にて会社員として勤めるかたわら、自身の言葉や文字で想いを伝えることに対して苦手意識を持っている人を支援するため、ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供する<デンシンワークス>(dsworks.jp)を運営。 <著書>『ラブレターを代筆する日々を過ごす「僕」と、依頼をするどこかの「誰か」の話。』(インプレス社)