誰かを「想っている人」のこと。

ラブレターを代筆する際、詳細のヒアリングのため、依頼者と直接お会いしている旨を伝えると、「え!?会うんですか?怖くないんですか?」と、たまに驚かれる。

「怖い?」
「そう。だって、どんな人が来るかわかんないじゃないですか?それに、ラブレターの代筆をお願いする人って、すごい想いが強そうだし、結果がダメだった時が大変そう・・・」

怖い、という発想はなかったが、確かに、そういう考え方もあるな、とは思う。ただ、僕が男性だからということもあるだろうが、この仕事をはじめる際、怖そうだな、という発想はなかったし、実際、怖い思いをしたこともない。皆さん、良識的で、常識的だ。

想いを寄せる人に対して、ラブレターで気持ちを伝えようとする人たちだ。怖いはずがない。不誠実なはずがない。

 

この仕事をはじめて気づいたことがある。
それは、誰かに「想われている人」より、誰かを「想っている人」の方が、魅力的ということ。

切実で、真剣で、深刻で、不器用で、実直なその表情を、僕は愛する。

 

先日、とある女性の依頼者の方と話をしていて、その方には約一年間片思いを続けている男性がいるのだが、「私、一年も何してるんでしょうね。まったく振り向いてもらえないのに、ずっと想ってばかりで、疲れちゃいました・・・。無駄な時間ですよね」と言われた。

疲弊した言葉とは裏腹に、表情は、生きていた。
恋愛感情とかそういうことではなく、ステキだな、と思った。

 

想う、という行為は、当たり前のようでいて、当たり前ではない。
想う対象が、いつだってあるわけではないし、いつだっているわけではない。それらがあるということは、とても貴重なこと。

「無駄な時間ですよね」

依頼者の言葉に、僕は具体的な言葉を返すことなく、黙って耳を傾けているだけだったが、

「どうでしょう、ステキな時間だと思いますけど」

本当は、そう言葉をかけたかった。
いつだってあるわけではないし、いつだっているわけではないのだから。

 

 

小林 慎太郎

投稿者: 小林 慎太郎

1979 年東京都生まれ。立教大学社会学部卒。IT企業にて役員を務めるかたわら、自身の言葉や文字で想いを伝えることに対して苦手意識を持っている人を支援するため、ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供する<デンシンワークス>(dsworks.jp)を運営。 <著書>『ラブレターを代筆する日々を過ごす「僕」と、依頼をするどこかの「誰か」の話。』(インプレス社)