就活ってしなきゃダメ?

どうして就職活動をする必要があるの? そう自分の子供に問われたら、僕はこう答える。

「いや、必要は別にないよ」と。

就職活動をして、会社勤めをしなくてはならないという定めはない。野球選手になろうが、政治家になろうが、ユーチューバーになろうが、吟遊詩人になろうが、なんでもありだ。そこには、法律も義務も何もない。食べていけるかどうかは別問題だが、何をするかは自由だ。

そしてまた、「じゃあ、大学卒業の頃に戻ったとしたら、就職活動はしない?」と問われたら、こう答える。

「いや、すると思う」と。

どうして? 理由は色々とあるのだが、一つに絞るとすれば、就職活動や会社勤めを通して、自分が何者でもないことを知ることができるから。少なくとも、僕自身はそうだった。

就職活動をはじめるまでの僕は、とんだ青二才の調子ノリのいけすかない男だった(まあ、今もたいして変わらないかもしれないが……)。しかしながら、就職活動、そして、その先の会社勤めを通して、自分の分を知り、自分が何者でもないことを知った。

自分は何者でもない、と書くと、卑屈な印象を受けるかもしれないが、そうではない。絵の具の「白」が絵画の基本となるがごとく、数字の「ゼロ」が世の中の概念を変えたように、〝何者でもない〟というのは〝何もない〟ということではない。過度な期待や思い込み、慢心がなくなることで、まっさらな状態になれるということだ。

僕がラブレター代筆をはじめたのは、今から二年前、三十五歳の時だ。人より頭が切れるわけでもなく、発想力や想像力があるわけでもなく、専門的な知識が豊富なわけでもない。会社員としての延長線上には、特別な何かはなさそうであることを悟った。そして、考えた。自分に対する過度な期待は捨て、何がしたいか? 何ができるか? を考えた。

結果として、「伝える」ということを支援するため、ラブレター代筆をはじめた。大変なこともあるし、笑われることもあるが、よかった、と思っている。生きている、仕事をしている、という実感がある。

自分が何者かである、という考えを抱き続けていたら、そんなことをしようとは絶対に思わなかっただろう。

自分が〝何者でもない〟ということを知ることは、見栄や驕り、世間体、そういったものから抜け出し、等身大の自分の人生の踏み出す第一歩だと思う。そして、その機会の一つとして、就職活動というのはとてもいい機会だと思うのだ。だから、就職活動には意味があるし、意義がある。どこに就職をするか、ではない。学校の外へ出て、会社へと足を踏み入れ、自身の考えの不足を知り、至らなさを知り、恥をかき、冷や汗をかき、時に落ち込み、時に喜ぶ。就職活動をすることそのものに価値があると僕は思っている。

 

 

小林 慎太郎

投稿者: 小林 慎太郎

1979 年東京都生まれ。立教大学社会学部卒。IT企業にて役員を務めるかたわら、自身の言葉や文字で想いを伝えることに対して苦手意識を持っている人を支援するため、ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供する<デンシンワークス>(dsworks.jp)を運営。 <著書>『ラブレターを代筆する日々を過ごす「僕」と、依頼をするどこかの「誰か」の話。』(インプレス社)