『藝人春秋2』 水道橋博士(著)

落語は忠臣蔵の四十七士じゃなく、逃げちゃった残りの赤穂藩士二百五十三人が、どう生きるかを描くもんだ。

立川談志の言。この言葉にそうのであれば、本書は、まさに「落語」だと言える。政治家、芸人、歌手、俳優、タレント、映画監督。出てくる登場人物は様々なれど、共通して言えることは、皆、四十七士ではなく、残りの、二百五十三人である、ということ。

それは、逃げた、ということではない。むしろ、常人よりも「戦っている」人たちだ。だが、選ばれし四十七士のように、大石内蔵助のように、カッコ良く、スマートで、英雄視されている人たちかというと、そうではない。時に滑稽で、時に泥臭く、生真面目だったり、気難しかったり、楽観的だったり、無様だったり、不器用だったり、哀しかったり。

三又又三も、タモリも、リリー・フランキーも、照英も、阿藤快も、やしきたかじんも、石原慎太郎も、田原総一朗も、立川談志も泰葉も。皆、そう。

世に出ている人たちなので、当然のことながら、確固たる実績もあり、カッコ良く描こうと思えば、カッコ良く描くこともできる。博士であれば、造作もないことだと思う。でも、そうはしない。あえて、しない。ピンセットでつまむような緻密さで、カッコ良い部分を取り除いている。そこに、愛がある。愛がある、という表現は、「人生って色々だよね」というくらい、達観ぶっていて、雑で、カッコつけていて、好きな表現ではないのだけれど、でも、そう表現せざるを得ない。見る視線に、描く筆致に、愛が滲んでいる。

そして、読み進め、下巻。最後、博士の告白で、あぁ、と息を漏らすことになる。本書に出てくる人たちだけではなく、博士も、そして、読者である僕も、誰しもが、四十七士ではなく、残りの、二百五十三人の人生を生きなくてはならないことを自覚させられる。傍観者でいることはできない。終始カッコ良く、というわけにはいかない。苦難、恥、後悔、反省、色々なものにまみれながら生きるしかないことに、あらためて、気づかされる。

でも、悲観はしない。どのような人生にも、笑いがあり、愛がある。ゆえに、希望がある。
本書は、博士は、それを伝えることを忘れてはいない。

 

 

小林 慎太郎

投稿者: 小林 慎太郎

1979 年東京都生まれ。立教大学社会学部卒。IT企業にて役員を務めるかたわら、自身の言葉や文字で想いを伝えることに対して苦手意識を持っている人を支援するため、ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供する<デンシンワークス>(dsworks.jp)を運営。 <著書>『ラブレターを代筆する日々を過ごす「僕」と、依頼をするどこかの「誰か」の話。』(インプレス社)