死の床で聞きたい言葉

最近、余命宣告を受けた人の手記や、幼くして亡くなった子供にまつわる記事などを目にする機会が多い。「多い」と書いたが、きっと、目にする機会自体は以前と変わらないが、20代、30代前半の頃は流していた「死」に関する記事が、40を目前に控え、自身の死期が視野に入るにつれ、目にとまるようになった、というのが正確なところだろう。

それと同時に、そられの手記や記事に寄せられるネット上のコメントの数々も、しっかりと読み込むようになった。そして、ここでもまた、以前は気にならなかったことが気になるようになった。

「〇〇さんの記事を読んで、残りの人生、しっかりと生きなくてはならないと思った」
「自分の人生を見つめ直すきっかけになりました。ありがとうございます」

こういったコメント。至極真っ当なコメントだと思う。でも、何かが気になる。なんだろう。なんというか、自分が余命いくばくもない身だとして、面と向かって、もしくはネット上で、こう言われたら、ちょっとイヤだな、と思った。すごくイヤではないが、ちょっとイヤだ。

いや、別に、あなたのために生きてきたわけではないし、あなたのために死ぬわけでもない。気づきとか、変化とか、どうでもいい。僕は僕のために生き、僕の人生をまっとうし、死んでいく。それだけだから。あなたに示唆を与えるために生まれてきたわけではないし、あなたの人生観を変えるために死ぬわけでもない。勘弁してくれ、と思ってしまう。コメントをする側に悪意がないのは重々承知しているものの、善として受け取ることは、きっと、僕はできない。

では、死の床において、言葉をかけてもらうとしたら、どのような言葉をかけてもらいたいか。あれこれと考えてみたが、シンプルに、「いい人生だったね」と言ってもらえるのが一番嬉しい気がする。

幼稚園の頃は泣き虫で甘えん坊で、母親がそばにいないと泣きじゃくっていたこと。小学生の頃は足が速くて、卒業するまでずっとリレーの選手だったこと。中学生の頃はわりとモテて、バレンタインのチョコを10個以上もらっていたこと。初恋のこと。フラれたこと。大学の授業をさぼり、学内のベンチでよく寝ていたこと。就職活動のこと。社会人になってはじめたもらった給料のこと。会社を休んでふらりと海を見に行ったこと。夜、月を見たこと。友達のこと。母のこと。父のこと。結婚のこと。可愛い2人の子供のこと。過去のこと。これからのこと。とりとめのない僕の話を、うんうん、と時折頷きながら聞いてもらい、「・・・まあ、こんな感じのことがあったんだ」と話を終えたあと、静かに微笑みながら、「そう、色々なことがあったね。いい人生だったね」と言ってもらえたら、最高に嬉しい。

だから、僕は、死を前にした人に向かって、それがたとえネット上だとしても、「可哀想」とか「大変だね」とか「がんばって」とか「人生を見つめ直すきっかけになった」とかは言いたくない。相手が誰があろうが、若かろうが、年老いていようが、「いい人生でしたね」と言ってあげたい。

そんなことを、思った。

 

 

小林 慎太郎

投稿者: 小林 慎太郎

1979 年東京都生まれ。立教大学社会学部卒。IT企業にて役員を務めるかたわら、自身の言葉や文字で想いを伝えることに対して苦手意識を持っている人を支援するため、ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供する<デンシンワークス>(dsworks.jp)を運営。 <著書>『ラブレターを代筆する日々を過ごす「僕」と、依頼をするどこかの「誰か」の話。』(インプレス社)