『想像ラジオ』 いとうせいこう(著)

『想像ラジオ』というタイトルの通り、想像の中で聴こえてくるラヂオのDJを務めるDJアークという人物と、そのラジオのリスナーとして登場する死者たちとのやり取りを通して、東日本大震災という未曽有の震災に対して、また、その犠牲となった死者に対して、今日を生きる我々はどう向き合うべきなのかを描く本書。

私がこの本を最初に読んだのは4年ほど前だったと記憶している。率直なところ、当時、どういう感想を抱いたか、何を思ったか、まったくといっていいほど記憶がない。記憶していることといえば、これは本当にあの「いとうせいこう」が書いたものなのか?と著書プロフィールを何度か見直したくらい。

恥ずかしながら、その時の僕の中での「いとうせいこう」は、「虎の門」という深夜番組内の討論コーナーで、MCを務める姿がすべてだった。そのコーナーにおいて氏は、場を円滑に回すだけでは飽き足らず、時に鋭くツッコミ、時にやさしくなだめ、時に華麗に流し、時にボケ、とその万能ぶりを余すところなく発揮し、「なにこの人!?超おもしろい・・・」と大学生だった僕の脳裏に、その姿は深く刻まれた。

その時から本書をはじめて手に取るまで、何年もの歳月が流れていたが、それでも僕の中でのいとうせいこう像はアップデートされておらず、だから、東日本大震災というテーマと向き合う作家としてのいとうせいこうと、「虎の門」でのいとうせいこうが、どうしても合致しなかった。

話が少し逸れたが、先日、あらためて本書を読み直し、驚いた。本当に同じ本を読んでいるのだろうか?そう思うくらい、受け取り方が異なっていた。そしてそれと同時に、この4年の間に、僕自身が失ったもの、そして、獲得したものへと想いを馳せた。失ったもの、これから失う運命のもの、それらの数が増えたことで、ようやく、僕はこの本と向き合い、メッセージを感じることができるようになったのだと思う。

著者であるいとうせいこうは、震災、ならびに死者に対してどう向き合うべきなのかを、登場人物の口を借りて語らせている。ある者は非化学的な感傷で死者に向き合うのではなく、生きている人のことを第一に考えるべきだと主張し、ある者は死者への想像をやめるべきではないと主張する。

そのやり取りを見ながら、僕は、震災後にボランティアとして現地に赴いていた頃の自分を思い出していた。震災発生以降、3回ほどボランティアとして足を運んだ。だが、やがて、僕は行かなくなった。

文中、以下のようなくだりがある。

その心の領域っつうんですか、そういう場所に俺ら無関係な者が土足で入り込むべきじゃないし、直接何も失っていない俺らは何か語ったりするよりもただ黙って今生きてる人の手伝いが出来ればいいんだと思います

まさに、当時の僕の心境。いや、心境という言葉はカッコつけすぎている。領域じゃないよな、と自分に言い訳をした。僕は、東京に戻った。震災を、想像することもなくなった。

それでも、毎年3月になると、靴に入り込んだ小石のように、心に、こつこつと何かが当たる。そして、先日、あらためて震災に向き合うべく、本書を手に取った。文体は軽快ながら一気に読み進めることはできず、ゆっくりと、ページをめくる手を長時間止めたり、本を一旦閉じたり、前のページに戻ってみたりしながら、読み進めた。

ボランティアをしていた頃に出会った人々。「地震が起きる直前にね、飼い犬がすごい大声で鳴き始めたんですよ」そう語ってくれた避難所でテント生活をしていたご一家。「怖くて怖くて外を見れなくて、じっと頭を抱えながらしゃがんでたんです」と俯きがちに話してくれた老婦人。ボランティアで汚泥の除去をしている僕たちにレモンウォーターを渡してくれた通りすがりの男性。その人たちのことを、その人たちの今を、そして、直接出会ってはいないが被災地で今を生きる人たち、被災地で亡くなった人たち、その人たちを想像した。

想像することは楽なことではなかった。
何を大げさな。想像しただけだろ?と言われそうだが、楽ではなかった。四年前の僕だったらそうかもしれないが、失ったもの、失ってしまうものが増えた今の僕にとって、想像することは楽ではなかった。

でも、何か、意味のあることをしている気がした。ラジオの周波数を合わせるように、ダイヤルを右に左にじっくりと回しつつ、その人たちの声を探し、声に耳を傾けるという行為には、意味がある気がした。

だから生きている僕は亡くなった君のことをしじゅう思いながら人生を送っていくし、亡くなっている君は生きている僕からの呼びかけをもとに存在して、僕を通して考える。そして一緒に未来を作る。

そう。僕が想像することで、想像された誰かは存在するし、誰かが存在したからこそ、僕は想像することができる。そのことには、たしかに、意味がある気がした。

少なくとも、僕は嬉しい。僕が命絶えたとしても、誰かが僕のことを想像してくれると思うと、死ぬことに対する恐れも、少し薄れる。

前述したように、過去と比べて、本書に対する印象は随分と変わり、感じること、気づくことも多かったが、それでも、一つわからないことがある。DJアークを見守る重要な登場人物としてハクセキレイが出てくるのだが、出てくる回数や場面から察して重要であることはわかるのだが、なぜ重要なのかがわからない。どうしてハクセキレイを登場させてのか、どうしてこのような役割を担わせたのかがわからない。

きっと、ネットで探せば、著者の意図通りがどうかは別として、それらしい推測は出てくるだろう。もしかしたら著者自身がそれについて語ってる文章なり映像もあるかもしれない。でも、あえて、それはしない。僕は、また、この本を読む。その時には、気づけるかもしれないから。

最後に。『想像ラヂオ』の著者としてのいとうせいこうと、「虎の門」でのいとうせいこうが合致しなかった、と書いたが、今は、合致する。これだけの、強さ、やさしさ、配慮、思慮深さ、弱さ、繊細さを持ち合わせた氏だからこそ、くせ者だらけの討論コーナーを取り仕切ることができたのだと、今は納得できる。あのいとうせいこうは、このいとうせいこうだ。

 

 

小林 慎太郎

投稿者: 小林 慎太郎

1979 年東京都生まれ。立教大学社会学部卒。IT企業にて会社員として勤めるかたわら、自身の言葉や文字で想いを伝えることに対して苦手意識を持っている人を支援するため、ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供する<デンシンワークス>(dsworks.jp)を運営。 <著書>『ラブレターを代筆する日々を過ごす「僕」と、依頼をするどこかの「誰か」の話。』(インプレス社)