「HATASHIAI」箕輪厚介 vs 水道橋博士

先日、「HATASHIAI」という格闘技イベントを観戦した。メインイベントである幻冬舎編集者である箕輪厚介氏と、浅草キッドの水道橋博士の闘いが目当てだ。

ちなみに、「HATASHIAI」というのは、堀江貴文氏が立ち上げたイノベーション大学校(HIU)内から生まれた異業種格闘技戦のことで、その特徴は、リング上で闘うのがプロではなく、シロウトである点にある。

試合の一週間ほど前に、「土曜の夜、ちょっと格闘技を観に行くから、悪いけど子供たちの面倒よろしくね」奥さんにそう告げると、「そう、わかった。で、誰の試合観に行くの?」と問われた。

「あぁ、えーと、水道橋博士と、幻冬舎の編集者の箕輪さんって人が闘うみたい」
「?水道橋博士って、あの、水道橋博士?金髪の?」
「そう、浅草キッドの水道橋博士」
「幻冬舎って出版社だよね?」
「そうね」
「そこの編集者と闘うの?水道橋博士が?なんで?討論会ってこと?」
「いや、討論とかじゃなくて、普通に闘う感じね」
「……?」

奥さんはまったくもって理解できていないようだった。まあ、それはそうだろう。
元々の発端は、百田尚樹氏の『殉愛』という本にある。この本は、故・やしきたかじん氏の晩年を、未亡人の証言を中心に描いた作品だ。

作品は話題になり、順調に売れた。僕も発売日に購入をした。ファンというわけではなかったが、学生の頃、深夜に放送されていた『たかじんnoばぁ〜』はよく見ていたし、大人になってから一時期京都に住んでいたため、否が応にもたかじん氏の番組をしょっちゅう目にしていた。本を購入するくらいにはその人物や生き方に興味があった。

売れ行き好調、順風満帆に見えた『殉愛』だが、問題が発生する。百田尚樹氏、及び幻冬舎側は完全なる「ノンフィクション」と謳っていたが、書かれていた内容が虚偽であったことが次々と暴かれ、各方面から矢を向けられることとなる。水道橋博士も矢を放ったひとりだ。事故本であることを認めようとせず、「ノンフィクション」の看板を降ろそうとしない幻冬舎ならびに代表である見城徹氏をSNSを中心に糾弾するが、その声は流されてしまう。叫びは届けども、相手にされない。そして、その矛先は、『殉愛』出版元である幻冬舎のいち編集者、箕輪厚介氏へと向けられることとなる。

だが、『殉愛』に対しての見解を求める水道橋博士に対して、箕輪氏の回答は、自身が担当した本ではなく、入社前の話であるため特に見解はありません、というもの。だが、「あぁ、そうですか」と矛を収めるをおさめる博士ではない。ここからTwitter上にて2人の攻防が長らく続き、結果、「HATASHIAI」という格闘技イベントがあるから、そこで闘おう、となるわけである。

「HATASHIAI」のチケットが売りに出されるとすぐに、僕は最前列のチケットを購入した。だが、試合数日前から、行くかどうか、逡巡していた。その理由はいくつかある。

まず、単純に、気が向かなかった。気が向かない、というのは興味がないのではない。興味は大いにあった。リングに上がる水道橋博士、箕輪厚介氏に対して、そして見城徹氏に対して。それぞれに、想いがあった。

まず、水道橋博士に関しては、子供の頃から、タレントとして単純に好きだった。『浅草橋ヤング洋品店』は毎週欠かさず見ていたし、今でも「歴代で一番好きなテレビ番組は?」と問われたら、『浅草橋ヤング洋品店』か『ごっつええ感じ』、どちらを挙げようか頭を悩ますだろう。その他も、テレビ朝日で深夜放送されていた『虎ノ門』や、鈴木その子を生み出した『未来ナース』など、おもしろい!と思う番組は、浅草キッドかダウンタウン、どちらかのものだった。

そこから派生して、『キッドのもと』『お笑い男の星座』『藝人春秋』など、水道橋博士の著書も読み、メルマ旬報というメルマガも購読している。高円寺にお店を出したと聞けば、会社の昼休みを利用して、Tシャツを買いに行ったりもした。

『殉愛』問題について、一切忖度することない姿勢。「ノンフィクション」というジャンルに強い使命感と愛情を抱き、そこを汚されたことに対して真っ直ぐに怒れる博士を、ひたすらにかっこいいと思った。

一方、箕輪氏に対しても想いがある。まず、SNS上での博士とのやり取りについて箕輪氏の言動をなじる向きがあるが、僕は、そうは思わない。
確かに、言い方が乱暴なところがあるが、もし僕が箕輪氏の立場であれば、似たような対応をするかもしれない。過去の話とはいえ、自身が所属する会社から出た本であるため、何らかの見解を述べるのが筋という意見もあるとは思うが、筋というのは一種類ではない。人間としての筋、編集者としての筋、会社員としての筋、見城氏への筋、親としての筋・・・、様々ある。その中で、博士が重視する筋と、箕輪氏が重視する筋が異なっていたということなのだと僕は解釈している。

それと、箕輪氏がTwitter上で垣間見せる横顔が好きだった。博士をブロックしたかと思えば解除したり。「さよなら」と言ったかと思えば、博士のツイートに対して反応をしたり。丁寧な口調になったかと思えば、罵倒してみたり。その感じに好感を覚えた。人間としての正常な「揺らぎ」のようなものが見え隠れして、あぁ、こういう面もあるんだ、と思えた。

また、これが最も重要だが、箕輪氏には、恩義がある。もっとも、本人は何のこと?という感じだろう。
箕輪氏はもともと双葉社に所属をしていて、755というトークアプリでの見城氏とユーザーとのやり取りを『たった一人の熱狂』という本にまとめた。見城氏と箕輪氏が出会ったのもこの755であるわけだが、僕も、755ユーザーだった。755を見城氏が始めたのを知って、僕も始めた。当然、見城氏のトークは見ていたし(むしろそれしか見ていない)、自分のコメントに対して返答を頂いたこともある、そしてまた、箕輪氏が「みのわ」として見城氏とやり取りをし、『たった一人の熱狂』出版に至る経緯も見ていた。

当時、僕は漠然とではるが、本を出してみたい、と思っていた。
ただ、何をどうすればいいのか皆目見当がつかない。「出版」というと、文芸誌の新人賞に応募するか、もしくは自費出版しかないと思っていたため、見城氏に直接アプローチをして、出版に至る経緯を目にし、へー、こういう直接的なやり方もありなんだな、と学びを得た。

その後、僕は箕輪氏のやり方に影響を受ける形で、応募という形ではなく、自分が書き上げた原稿をいくつかの出版社に直接売り込み、運良く、出版にこぎつけることができた。箕輪氏が、「みのわ」がいなければ、出版することはできなかっただろう。だから、恩義がある。

そのような経緯から、心情としては博士を応援していたものの、一方的に博士頑張れ!箕輪をやっつけろ!とは言えなかったし、箕輪頑張れ!博士をやっつけろ!とも言えなかった。

そして、想いは見城徹氏に対しても。
中高生の頃だったと記憶しているが、当時、『平成日本のよふけ』というトーク番組があった。笑福亭鶴瓶氏とウッチャンナンチャンのナンチャンがMCとなり、毎回ゲストとトークを繰り広げるという番組だ。その番組で初めて見城徹という人を僕は知った。角川春樹氏との思い出や、郷ひろみの『ダディ』などについて話していたように記憶しているが、内容云々よりも、頑強な体躯から発せられる迫力がとにかく凄くて、うわぁ~、なんかすごいなこの人、と圧倒された。そこからずっと見城徹という存在が僕の頭の片隅に残り、755を始めたと知って、「見城さんとやり取りできるかも!」と、755を急いでインストールした。

755は、AKB48などのアイドルとやり取りできることを売りにしていたが、僕は、大島優子よりも、高橋みなみよりも、見城徹と話したかった。

755内で僕が送ったコメントに対し、何度か見城氏から回答をいただいたことがある。嬉しくて、その回答はすべてキャプチャーをとって、「見城さん」というフォルダ内に今でも保管している。「明日、経営陣が集まる会議があって、おそらく、そこで僕は非難の的になるのですが、どういう心持で臨めばいいでしょう?」という、今考えると、自分で考えろ、バカ!としか言いようのない質問にも、見城氏は真摯に回答をしてくれた。

水道橋博士 vs 箕輪厚介。この闘いに絡む者、すべての人に思い入れがあり、感謝の念があり、誰をどう応援していいか気持ちが定まらず、観に行くのを迷った。

そして、迷ったのには他にも理由がある。
試合の数日前に、治癒したはずの母親の癌が再発したことを聞き、気持ちが沈んでいた。歓声や罵倒が飛び交うであろう会場に、身を置くのが物憂かった。静かな場所に、じっと身を潜めていたい気分だった。

だが、結果として、僕は試合を観に行った。
チケットを購入したのに観に行かないというのは、博士、箕輪氏、双方に失礼な気がした。
単純に、8000円も出したのに行かないのはもったいないとも思った。

そして、観に行った結果、行かなければよかった、と僕は後悔した。

後悔したのは、試合がつまらなかったからではない。
むしろ、逆だ。試合は、お世辞抜きで、素晴らしかった。

僕の席は赤コーナー側の最前列で、リングインする水道橋博士の表情をすぐ間近で見たのだが、まず、その表情に痺れた。『浅草橋ヤング洋品店』で城南電機の宮地社長をあおっていた博士でも、『未来ナース』で鈴木その子を軽妙なトークで白く照らしていた博士でも、『虎ノ門』内の”朝まで生どっち”で、くだらないことを大真面目に語っていた博士でも、どの博士でもない博士がいた。ヘミングウェイは「勇気とは、窮地に陥ったときにみせる、気品のことである」と言ったが、まさに、リングイン直前の博士には、品があった。好きでよかった、と思った。

そして、試合の勝者となった箕輪氏も素晴らしかった。特に試合後のコメント。SNSで散々責められた水道橋博士をなじるでもなく、後日発売する著書を、笑みを浮かべながら宣伝していた姿が印象的だった。そこには、勝負に対する、そして、博士に対するコメントを発することへの「照れ」が見え隠れして、やっぱりいい人だな、と思った。

勝負も、博士も、箕輪氏も、全部素晴らしかった。

だが、それで、僕の何かが変わったわけではない。
リングに上がったのは博士と箕輪氏であり、僕ではない。
勝者の気高さも、敗者の勇壮さも、僕のものではない。

会社員としてやらなければならない仕事は積みあがっているし、順調に形成されていく会社員としてのキャリアとは裏腹に、物書きとして生計を立てられるくらいに稼ぎたい、という夢は依然としてその蕾を開こうとはしない。

まだ、熱狂を傍観する側にまわるのは早い。
39歳の自分は、人生や、仕事や、夢と、まだ闘わなければならない。

だから、同じような闘いが今後あったとしても、僕は行かない。
素晴らしき試合を観に行ったことを、僕は後悔した。

 

小林 慎太郎

投稿者: 小林 慎太郎

1979 年東京都生まれ。立教大学社会学部卒。IT企業にて役員を務めるかたわら、自身の言葉や文字で想いを伝えることに対して苦手意識を持っている人を支援するため、ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供する<デンシンワークス>(dsworks.jp)を運営。 <著書>『ラブレターを代筆する日々を過ごす「僕」と、依頼をするどこかの「誰か」の話。』(インプレス社)