『夫のちんぽが入らない』 こだま(著)

文庫化されたのを機に、ついに、『夫のちんぽが入らない』を読んだ。”ついに”と書いたのは、今まで読みたかったのに読めなかったということではない。意図的に、読まなかった。嫉妬から、この本を手に取ることを避けていた。

こだまさんの『夫のちんぽが入らない』が出版をされる約1年前、2016年1月21日に、僕はインプレス社より『ラブレターを代筆する日々を過ごす「僕」と、依頼をするどこかの「誰か」の話。』という本を出版した。会社員として働きつつ、依頼者に成り代わりラブレターを代筆する<ラブレター代筆屋>をしており、代筆屋としての活動の中で出会った人々や、その体験をもとにした物語だ。

『ビリギャル』を生み出したSTORYS.JPに投稿した文章を目にした編集者の方が興味を持ってくださり、書籍化に至った。

編集者の期待に応えたいという想い、また、やるのであれば結果を出したいという気持ちを強く抱いていたが、それはかなわなかった。出版社を、そして、自分の自尊心を潤すような成果は得られなかった。それ以降、僕の中で書くことに対する情熱が薄れた。

ショックだった。結果が出なかったということもさることながら、書く、という行為に対する自分の気持ちがその程度であったことがショックだった。

「へー、小林は文章が上手なんだな」

小学校高学年の時に、担任の先生からそう声をかけられてから、僕は書くことが好きになった。また、「僕は文章が上手なんだ」ということが支えになっていた。それは、おとなになっても変わらなかった。依然として文章を書くことは好きだったし、仕事で失敗しようが、彼女にフラれようが、「僕は文章が上手なんだ」という自負が、倒れそうになる心の添木の役割を果たしていた。

でも、それが崩れた。自分が凡庸であることを突きつけられ、それだけでなく、書くことが好きという気持ちが偽りであったことを知った。

「へー、小林は文章が上手なんだな」と先生から言われ、鼻をふくらませたあの頃の自分を裏切ったような、そんな気持ちになった。

その現実から目を背けるように、僕は会社員としての仕事に打ち込んだ。皮肉なもので、会社員としての仕事は順調すぎるほど順調に進み、昇進を重ねた。

そんなある日、『夫のちんぽが入らない』という風変わりなタイトルの本が話題になっていることを耳にした。物珍しいタイトルが興味を惹いてるだけだろ、と思ったが、ネット上の声を目にすると、どうもそうではないらしい。タイトルは軽妙だが、内容は切実で、文章も読ませるもののようだ。

僕と同じく実体験をもとにした処女作、また、一年の違いはあれど発売日がほとんど同じということで、なぜだか、強く意識した。そして、反響を呼んでいることに嫉妬した。だから、読まなかった。

『夫のちんぽが入らない』が出版されて半年ほどが経過された頃、「公募ガイド」という雑誌のライターさんから連絡があった。<実は、あなたも本が出せる>という特集を組むから、取材をさせてほしいとのこと。

快諾をした僕は、赤坂の喫茶店でライターさんと一時間ほど話をした。後日、見本誌が届いた。文学フリマをきっかけとして出版に至ったということで、こだまさんのインタビューがカラー2ページで大々的に掲載されていた。僕は雑誌を閉じた。

 

それから月日が流れ、先日、『夫のちんぽが入らない』が文庫化されるという報をツイッターにて知った。その頃には、僕自身の心境の変化もあり、妙な嫉妬心はなくなっていた。理由は色々とある。単純に、誰かに嫉妬するほどの野心が薄れていったということもあるし、そもそも、こだまさんとの距離が嫉妬の対象とはなり得ないほど開いたということもある。ブログを書いたり、シナリオライティングを学び始めたりと、書くことに対する情熱も取り戻していた。

それでも、『夫のちんぽが入らない』を購入しようとは思っていなかった。だが、ふとしたきっかけで、雨宮まみさんが本書に寄せたコメントを目にして、読んでみよう、と思った。雨宮まみさんの特別なファンというわけではない。著書も『東京を生きる』しか読んだことがない。でも、雨宮まみさんが言うなら、きっといい本なんだろうな。『東京を生きる』という作品は、そう思わせる作品だった。

そして、先ほど、読み終えた。読み終えた直後、高校生の頃に出場した陸上大会を思い出した。当時、陸上部に所属をしていた僕は400mを専門としていたのだが、陸上部には、もうひとり400mを専門としていた子がいた。小寺くんという名前にしておく。練習でのタイムはいつも僕の方が早いのだが、なぜだか、大会になると小寺くんの方がいつも早かった。明確な理由はわからなかったが、本番に強いタイプなのかな?くらいに思っていた。

だが、そうではないことがわかる。ある日、市主催の大会にて僕と小寺くんが同じ組で走ることとなった。300mまでは僕の方がリードしていたが、最後の100mで小寺くんに抜かれ、そのままゴール。

あぁ、抜かれちゃったか・・・。ゴール地点で膝に手をつきながら、呼吸を整える僕の横を、小寺くんが駆け抜けていく。随分と元気だなと思いながら小寺くんの背中を目で追っていると、小寺くんは競技場の隅まで行き、その場で胃の中のものを派手に吐き始めた。おぇーっという叫びと、びしゃびしゃという水っぽい音が辺りに響く。周りの選手が奇異な目で小寺くんを見る。

僕は慌てて小寺くんに駆け寄り、「おい、大丈夫か?」と声をかけると、
「はぁ、はぁ・・・。ああ、ごめん、大丈夫。いつもこうなんだよね」
小寺くんは苦しそうな顔で笑みを浮かべた。

いつも?僕は唖然とした。本番に強いわけではなかった。吐くほどに懸命に走っていたのだ。
こりゃかなうわけないな・・・。小寺くんの背中をさすりながら、僕は思った。

『夫のちんぽが入らない』を読み終えた後、僕は、小寺くんに対するそれと同様の感情を抱いた。本番に強い弱いだとか、技術がどうとか、そんなことよりも、そもそもの覚悟が違う。走り終えた後に立つ力のある僕が、苦渋の表情で吐いている小寺くんに勝てるはずがないように、原稿を書き終えた後にペンを握る力を残していた僕が、こだまさんに勝てるわけがなかった。

 

また、本書の読後感として、世の中では「美しい」とか「夫婦愛」、「絆」という言葉が出ているようだけれど、そんな生易しいものではない。本文の中に、ちんぽが入らず、股が血で滲む場面が何度か出てくるが、まさに、股から太もも、足先へと血が垂れていくさまをじっと見せられているような、終始そんな感じだった。

この本は残酷だ。僕が本を読み終えても、こだまさんや旦那さんの物語が終わるわけではない。現在進行形で進んでおり、これからも進む。それは、読者である我々も同じ。

前述したように、個人的には、「美しい」とか「夫婦愛」、「絆」といった言葉は本書には似合わないと思っている。むしろ、その逆だ。世の中は美しい物語や美しい人だけで構成されているわけではないし、夫婦の間の愛や絆は無条件に横たわっているわけでもない。人生や人間は厄介だ。そのことを突き付けてくる本書は、残酷だ。

それでも、本書は、こだまさんは、読む者を、僕を、力づけてくれる。
傷を負いながらも、なんとか前へ。そう思わせてくれる。
あの日の小寺くんのように、吐くほどに懸命に。そう思わせてくれる。

何を意固地になっていたのだろう。
もっと早く読めばよかった。

 

小林 慎太郎

投稿者: 小林 慎太郎

1979 年東京都生まれ。立教大学社会学部卒。IT企業にて役員を務めるかたわら、自身の言葉や文字で想いを伝えることに対して苦手意識を持っている人を支援するため、ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供する<デンシンワークス>(dsworks.jp)を運営。 <著書>『ラブレターを代筆する日々を過ごす「僕」と、依頼をするどこかの「誰か」の話。』(インプレス社)