吉原を、祖母と歩く

東京都台東区竜泉。そこが、僕の祖父と祖母が住んでいた町。そして、父が生まれ育った町。祖父母が亡くなり、家も取り壊されてからは足を踏み入れることもなくなったが、その町を思い出すとき、小説や映画のような世界が僕の中に広がる。

はじめの竜泉での記憶は、お祭り。
青空の下、通りは人と出店とでごった返し、法被姿の男たちが声高に客を呼び入れている。
そして、僕もその喧噪の中にいる。目の前には丸いビニールプール。プールの中には瓶の蓋がいくつも沈められている。糸の先端に磁石がついた釣竿を小さな手で握り締め、瓶の蓋へと糸を垂らす僕。クンッとかすかな振動が手に伝わり、僕は慌てて釣竿を引き上げる。

「おっ、ボウズ取れたな!何番だ?」

プールの傍らに座っている男が、大声を張り上げる。
僕は、蓋をゆっくりと裏返す。

「5番・・・」
「5番か、よし。えーと、5番、5番」

男がビニールシートの上に置かれているおもちゃを見回す。

「おおお!」
「?」
「やったな!おい!」

男が、飛行機のプラモデルの箱を手にする。
プラモデルは、僕の身長くらいあるのでは、と思われるほど大きい。

「いいの取ったな、ボウズ!みんな欲しがるだろうから、盗られないように走って帰れよ」

男が黄色い歯を見せてニッと笑う。
僕は頷くと、祖母の家までプラモデルを抱えながら、走って帰った。

それ以降も、竜泉には何度も行っているのだが、不思議とお祭りの記憶はこれしかない。 夢だったのか?と思ってもみるが、あの時の興奮は、いまだに覚えている。夢にしては、やけに鮮明だ。

こんな記憶もある。多分、僕は小学校の中学年くらいだ。
祭りの時と同様、通りは人で混雑している。
大人たちの体の隙間から、僕はじっと白塗りの女性を見ている。
豪奢な着物に大きなかんざしをつけた女性たちが、高下駄を履いて、ゆっくり、ゆっくりと通りを進んでいく。それが花魁道中であることは、随分と時が経ってから知った。
きれいねー、と大人たちは口々に誉めそやしていたが、高下駄を履いていたせいで背が高かったからか、見慣れない衣装のせいかは定かではないが、僕はなんだか怖くなり、小走りでその場をあとにした。

これも覚えている。祖父母の家に僕たち家族が遊びに行くと、「ちわす!」という挨拶とともに、向かいにある焼き鳥屋さんが大皿に何十本という焼き鳥を盛って運んで来てくれた。いつもお世話になっていますから、と言ってお金を受け取ろうとしない。
そして、焼き鳥を半分ほど食べ終えた頃、近所にある「土手の伊勢屋」が真っ黒な天丼を運んでくる。通常、配達はしていないが、祖父母と昔からの馴染みらしく、いつも家まで持ってきてくれた。焼き鳥と天丼を食べ終える頃には、タレと醤油で、僕の喉はからからに乾いていた。

「慎太郎、ちょっと散歩に行こうか」
ぱんぱんにお腹を膨らませながら横になっていると、祖母が僕に声を掛ける。

家を出ると、薄暗い道路の上に、白いチョークで輪っかがいくつも書かれているのが目に入る。
けんけんぱ♪けんけんぱ♪ 女の子たちが、ぴょんぴょんと飛び跳ね、笑い合う。

僕は祖母の横に並び、歩く。少し歩くと、高級外車や黒服の男たちが目につきはじめる。
吉原のソープ街だ。意図的にここを目指して歩いてきたわけではないが、すぐ近所のため、散歩をしようとすると、おのずと通ることになる。ソープ街を抜け、ぐるっと回ると、僕と祖母は家へと着く。路地裏の女の子たちはいなくなり、その代わりに、白い輪っかの中で、野良猫が眠っている。

「慎太郎、ミカン食べるかい?」

家の中に入ると、祖母がざるいっぱいのミカンをコタツの上に置く。
そこで、記憶は一旦途切れる。

そして、次の記憶。
老人ホームの一室で、横たわりながら窓の外へと目を向ける祖母。

祖父は亡くなり、独り身になった祖母は、竜泉を遠く離れた都内の施設にいた。
久しぶりに見た祖母は、もともと小さかった身体が、さらに縮こまっていた。

僕はベッド脇の丸椅子に腰掛ける。
特に会話はない。

「慎太郎」
「ん?」
「おばあちゃんね、ちょっと眠いんだ・・・」
「あ、そっか。うん、じゃあ、また来るよ」

来て10分もしないうちに、僕は部屋を出た。

祖母との会話はそれが最後。
祖母が亡くなってから、祖父母が住んでいた家は取り壊され、今は家も住人も、変わっている。竜泉にも長らく行っていない。

明治どころか、平成も随分と遠くになってしまった気がする。



小林 慎太郎

投稿者: 小林 慎太郎

1979 年東京都生まれ。立教大学社会学部卒。IT企業にて役員を務めるかたわら、自身の言葉や文字で想いを伝えることに対して苦手意識を持っている人を支援するため、ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供する<デンシンワークス>(dsworks.jp)を運営。 <著書>『ラブレターを代筆する日々を過ごす「僕」と、依頼をするどこかの「誰か」の話。』(インプレス社)