2019年の宇多田ヒカル

ここ3か月ほど、宇多田ヒカルをずっと聴いている。
若かりし頃、「Automatic」「Can You Keep A Secret?」「travelling」くらいまでは聴いていたが、それ以降、季節を飛び、40になった今また聴いている。

「花束を君に」「Stay Gold」「FINAL DISTANCE」「Flavor Of Life」・・・どれも好きだ。通常、同じ歌手でも、曲によってその印象は変わる。明るい気分になる今日もあれば、哀しい曲があり、楽しい曲もある。だが、宇多田ヒカルの曲は、正確に言うと、詞は、どれも哀調を帯びている。

どのくらい前だったかは定かではないが、少なくとも10年以上前、宇多田ヒカルがテレビでこう話していた。英語で”切ない”に該当する言葉はない。わたしは”切ない”を歌っていきたい、と。その時は、特に何も思わず、そうなんだ、と思った程度だったが、今は異なる感想を抱く。

当時、宇多田ヒカルは20代だったはずだ。20代にして、”切ない”を歌にして乗せる彼女の人生を想う。20代、僕などは、アメリカ人でもないのに”切ない”の意味も知らなかった。

「travelling」などは曲調で言えばポップだけれど、詞は、”春の夢の如し”、”風の前の塵に同じ”と、諸行無常を説く。

誰しもそういう時期はあると思うのだが、若いころ、僕も「天才」というものに憧れた。圧倒的な才能をこの身に有してみたいと思っていた。でも、今はそうではない。凡夫でいい。天才の人生を負うことは僕にはできそうにない。彼女の歌を聴いていると、そう思う。

ちなみに、朝夕の通勤時は宇多田ヒカルを聴き、夜、就寝時は落語を聞いている。

立川談志は言った。「落語は忠臣蔵の(討入りした)四十七士じゃなく、逃げちゃった残りの赤穂藩士二百五十三人が、どう生きるかを描くもんだ」と。

つまり、僕は、朝夕は四十七士としての人生を生きる宇多田ヒカルに魅せられ、夜は、落語を聞くことで逃げちゃった藩士としての人生を慰んでいるということだ。

四十七士と残りの藩士。
どちらの人生が幸せなのかは、よくわからない。

ひとつ、確かなこと。
宇多田ヒカルは最高だと思う。



小林 慎太郎

投稿者: 小林 慎太郎

1979 年東京都生まれ。立教大学社会学部卒。IT企業にて役員を務めるかたわら、自身の言葉や文字で想いを伝えることに対して苦手意識を持っている人を支援するため、ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供する<デンシンワークス>(dsworks.jp)を運営。 <著書>『ラブレターを代筆する日々を過ごす「僕」と、依頼をするどこかの「誰か」の話。』(インプレス社)