『藻屑蟹』赤松利市(著)

東日本大震災。原発事故。除染作業員。原発避難民。大金。
Amazonの紹介ページを開き、目に飛び込んできた単語の印象から、率直なところ、読むのはまた後日にしようかと逡巡した。心身の調子が悪く、これ以上気が滅入るのは避けたいと思ったからだ。

ただ、表紙の「選考委員、大興奮!六十二歳 住所不定 無職」というコピーに惹かれ、読み進めることにした。

結果としては、想像していた読後感とは違った。正確にいうと、内容としては想像通り、というか、決して救われるような物語ではないのだが、それでも、気が滅入るようなことはなかった。

なぜ?品だ。品がある。著者を投影したと思しき主人公に「品」がある。といっても、言葉遣いが丁寧だとか、所作に風格があるとか、育ちが良いとかそういうことではない。むしろ、その逆にある。だが、考え方、姿勢に「品」がある。

WEB上で目にしたインタビューにおいて、作者はこう言っている。「今まで62年間生きてきて、今が一番楽しいです。貧乏ですが、貧困ではありません。」と。そう、粗にして野だが卑ではない。主人公も、まさにそのような感じだ。

詳しくはネタバレになるので控えるが、主人公は、友人に誘われ、殺人への協力を打診される。結果として、断ることなく、主人公はその片棒を担ぐこととなる。当然、殺人は悪であり、誉められるものではない。だが、主人公が殺人に関与するくだりを目にしても、「こいつ最低だな・・・」とはならない。



本書に関する書評などを読んでいると、六十二歳という年齢でのデビューから「遅咲き」との表現が目立つ。だが、僕はそうではないと思う。偉そうに述べられる立場ではないが、本作は、才能や器用さで書かけるものではない気がする。網目の細かいフィルターで珈琲の粉を濾し、一滴一滴溜めていくように、人生の一歩一歩が積み重なって生まれた作品。つまり、遅いのではなく、それだけの時を必要とした。

竜舌蘭(リュウゼツラン)という花は50年に一度だけ咲くらしいが、それと同じようなものではないか。早い遅いではなく、それだけの年数をかけて咲くことが運命づけられていた。遅くはない。予定通り。著者にも、同じことが言えると思う。


最後に。著者の受賞の言葉がふるっている。

たとえ将来、路上に帰らざるを得ないほど困窮しても、日銭仕事に執筆の時間を犠牲にするくらいなら、わたしは、何の躊躇もなく路上に帰ります。その覚悟を受賞の言葉としたい。

本作品、そして、この受賞の言葉により、僕は一気に著者のファンになった。今後も末永く咲き続けることを、心より願いたい。

小林 慎太郎

投稿者: 小林 慎太郎

1979 年東京都生まれ。立教大学社会学部卒。IT企業にて役員を務めるかたわら、自身の言葉や文字で想いを伝えることに対して苦手意識を持っている人を支援するため、ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供する<デンシンワークス>(dsworks.jp)を運営。 <著書>『ラブレターを代筆する日々を過ごす「僕」と、依頼をするどこかの「誰か」の話。』(インプレス社)