『らいおんハート』はもう聴こえない

その夜、僕は真夏の六本木にいた。六本木のどの辺にいたのかは今思い返してみてもよくわからない。夜だったということもあるが、当時、20そこそこだった僕は六本木などほとんど来たことがなく、現在地がわかるほど土地勘もなかった。

とにかく、その日六本木にいた僕は、艶やかな衣装に身を包んだ女性に挟まれる形で、背を丸め、俯いていた。
「おい!聞いてんのか?そんなぼさっとしてるから就職できねえんだよ!」
僕の向かいで、腹の突き出た中年男が吠える。
しこたまお酒を含んだ肌は赤黒く、ぼってりとした鼻の先もてらてらと光っている。それでも意識はしっかりとしているようで、角ばった眼鏡の奥から、挑むような目を僕に向け続ける。
「ちょっと、センセイ~、若い子をそんなにいじめちゃ可哀想よ」
僕の右隣に座っている黒髪の女性が、先生と呼ばれた男のお酒を作りながらしなをつくる。
なにが”センセイ”だよ。ふざけんな……。僕は、心の中で毒づく。
「いじめなんかじゃねえよ。教育だ、教育。考えがあまっちょろいからみっちり指導してくれって鍵本さんからお願いされてるんだよ」
センセイがお酒を受け取りながら、ふんぞり返る。
鍵本……。叔父さんも余計なことしてくれたもんだな。僕はお酒と怒声で朦朧とする頭で、怒りを覚える。


時間を少し遡る。クラブに入店する3時間ほど前、僕は叔父さんの呼びかけで六本木の居酒屋にいた。就職活動に身を入れようとせず、ふらふらと彷徨うように日々を過ごす僕を案じた母が、自分の兄、つまり僕からすると叔父さんに相談し、叔父さんが僕を説諭せんと六本木に呼び寄せたというわけだ。そして、僕がお店に到着すると、叔父さんの隣に、見知らぬ男、”センセイ”がいた。叔父は六本木にあるテレビ局に勤めており、センセイは放送作家とのことだった。

「こいつはな、〇〇とか△△の放送作家もしてるんだぞ」
叔父さんがセンセイが担当している番組をいくつか教えてくれたが、そのどれも僕は知らなかったため、「はぁ……」と薄ぼんやりとした返事をした。それだから、というわけではないだろうが、センセイは出だしから初対面とは思えぬ罵声を浴びせてきた。
「おい!俺は忙しいんだよ。鍵本さんの頼みじゃなかったらお前みたいのに会ってる暇なんてないんだからな」
承知しました。どうぞお引き取りください。
そう思いつつも、口にする勇気はなく、「すみません」とただ頭を下げるのみ。
そこからセンセイの勢いは止まらない。
「いい年して親に心配かけてんじゃねえぞ!」
「いつまで親のスネかじってんだよ!」
「なんだよその髪型は!」
「目が光ってねえんだよ、目が!」
「お前、全然おもしろくねえな!」
「六本木なんか10年早えぞ!」
一通り吐き出し終えると、あきたのか、あきれたのかはわからないが、僕の存在など見えないかのように、叔父さんと二人で話し始めた。手持ち無沙汰になった僕は、ちびちびとひとりお酒を飲む。元来お酒は弱いせいで、3杯ほどビールを飲んだところで酩酊状態に陥る。

どれだけの時間が経ったのかはわからないが、肩を叩かれた衝撃で目が覚めた。
「おい、次行くぞ!」
センセイが僕の腕を荒々しく掴み、立たせる。いつの間にか、叔父さんの姿は見えなくなっていた。



「いじめなんかじゃねえよ。教育だ、教育。考えがあまっちょろいからみっちり指導してくれって鍵本さんからお願いされてるんだよ」
そして、次の店でも引き続き僕は怒鳴られていた。
「ねえ、センセイ、そんなことより最近はどんな番組をつくってるの?」
先ほど助け船を出してくれた黒髪の女性が、再び僕とセンセイの間に入る。僕は女性に目を向けた。スリット入りの黒いドレスを着ているせいで一見大人びて見えるが、よく見ると、22歳の僕とそんなに年齢が違わない感じだ。肩まで伸びたストレートの髪に、筋の通った鼻梁。センセイと同じペースでお酒を飲んでいるが、切れ長の眼は終始涼やかで、聡明な印象を受ける。

酔いつぶれてふらふらと上半身を揺らす僕を尻目に、センセイとセンセイを囲むホステスたちは無邪気にはしゃいでいる。ふつふつとした感情が込み上げてくる僕。
「あいつはもうタレントとしては潮時だな」
なんで就職しなきゃ駄目なんだ?アルバイトじゃ駄目?
「ディレクターだのプロデューサーだの偉そうにしてたってバカばっかだよ」
社会に出る意味って何?何でみんな疑問に思わないんだ?
「俺が作家として入った途端20%越えだよ!ハハハ」
もうめんどくせえ。就活も、親も、叔父さんも、目の前のセンセイとやらも!
僕は、すくっと立ち上がると、よろけつつ店の出口へと向かった。
「え?大丈夫?」
困惑した表情で僕を見るホステスたち。
「……帰ります」
「いや、でも、そんなんじゃ……」
間近にいたホステスが立ち上がり、僕を制しようとすると、
「ほっておけ!さっさと帰れよ!」
センセイが高らかに叫ぶ。動きを止めるホステス。
僕はそのまま店を後にした。

「ねえ、大丈夫?お水飲んで」
女性が僕の顔を覗き込んでいる。ストレートの黒髪。スリット入りのドレス。助け舟を出してくれた女性だ。お水の入ったグラスを僕に差し出す。
「……」
僕は寝ぼけた頭で今の状況に思いを巡らす。どうやら、店を出た直後に道路に倒れ込み、そのまま眠っていたようだ
「ひとりで帰れる?おうちどこ?」
答えは頭に浮かんでいるが、お酒がまわりすぎて言葉が出てこない。
女性は困ったように鼻に皺を寄せると、
「これ、何かあったら電話して」
僕の手に名刺を握らせ、そのまま足早にお店の戻っていった。

”しおり”

寝そべったまま名刺に目を向けると、そこには、そう書かれていた。
名前の下には、手書きの電話番号。
名刺から視線を外すと、再び僕は眠りについた。



「こんなことセンセイにばれたら怒られちゃうよ~」
Tシャツ短パン姿のしおりさんは、そう言いながら隣の部屋に消えた。
僕はひとり取り残された部屋を見渡す。白とピンクを基調とした部屋のあちこちには、ディズニーキャラクターの人形が置かれていた。
「これしかないけど、いいよね?」
戻ってきたしおりさんの手には、薄いグリーンのパジャマ。
「はい……。本当にすいません」
僕は目を伏せた。酔いはすっかり冷めていた。

名刺を握りしめたまま路上で眠っていた僕が目を覚ますと、既に終電の時間を過ぎていた。タクシーで帰るお金はなく、カードもない。歩いて帰る気力もない。途方に暮れた僕は臆面もなく、もらった名刺に書かれていた電話番号に電話をした。

しおりさんが冷蔵庫を開けながら、
「お酒、飲む?だいぶ冷めてきたでしょ?」
「あ、はい」
緊張のため、シラフではいられそうにない僕は、お酒に頼ることにした。
「ほい」
しおりさんは僕にビールのミニ缶を差し出す。しおりさんの手にはロング缶。
「また潰れられたら困るから」
いたずらっぽく笑うしおりさんにつられて、僕は頬を緩めた。
ビールを傾けつつ、少しずつだがしおりさんと会話を重ねた。
年齢は僕より2つ上であること。大学卒業後、一年ほど受付嬢をした後、今のお店で働きはじめたこと。センセイは週に2回はお店に来ることなど、しおりさんは女友達に話をするような気さくさで、僕に話をしてくれた。
「そういえば、センセイから聞いたけど――」
「はい?」
「就職で悩んでるんだって?」
「……はい」
僕は手にしていたミニ缶を机の上に置いた。
「どんな仕事がしたいの?」
しおりさんが頬杖をつきながら僕を見る。
一瞬の逡巡の後、
「あの、なんというか、文章を書く仕事がしたいな、と……」
僕が応えると、
「そう、素敵ね」
しおりさんが目を細める。
僕は驚いた。予想していなかった反応だったから。親も、友達も、誰一人として肯定はしてくれなかったから。

しおりさんは、コツンとロング缶をテーブルに置くと、
「もう寝ようか。私はソファーで眠るから、ベッドで眠っていいよ」
躊躇する僕を押し込むようにして、隣の部屋へと促す。

僕は先ほど渡されたパジャマに着替えると、倒れるようにベッドに身体を横たえた。柑橘系のさわやかな香りが、鼻をくすぐる。天井を見上げながら、目まぐるしく過ぎた今日一日を振り返っていると、隣の部屋から音楽が流れてきた。スマップだ。何て歌だっけ?曲名がわからない。

ふと、ベッド脇に目をやる。サイドテーブルの上にライトスタンドと並んで、写真立てに立てかけれたスナップ写真が目についた。ブランコに乗っている女性と、女性の膝の上に座っている6才くらいの女の子。最初、しおりさんが女の子と写っているのかと思ったが、違う。目つきや輪郭はしおりさんに似ているが、写真の中の女性は20代には見えない。30半ば~後半といったところだ。顔を近づけると、女性の膝に座っている女の子がしおりさんであることに気付く。
「そう、素敵ね」
と言って微笑んだ時と同じ目をしている。
しばらく写真を見つめた後、僕はライトスタンドの紐に手をかけ、灯りを消した。

隣の部屋からは、依然とスマップの歌声が流れてくる。

君を守るため そのために生まれてきたんだ
あきれるほどに そうさそばにいてあげる
眠った横顔 震えるこの旨 LionHeart ♪

あぁ、らいおんハートだ……。
薄れる意識の中、曲名を思い出した。
ゆらゆらと揺れるブランコと、スマップの歌声。
僕は、眠りについた。



あれから、20年近くが経つ。月日が流れる中で、色々なことが通り過ぎて行った。僕にセンセイを引き合わせた叔父は亡くなり、叔父に相談をした母も今年のはじめに亡くなった。スマップは解散。らいおんハートはもう聴こえない。

社会に出る意味って何?と悲嘆していた僕も、社会に出て、会社員となり、2児の父となった。40の仕事盛り。日々忙しく過ごしている。
それでも、なぜだかはわからないが、今でもたまに、一年に一度くらい、あの日のことを思い出す。20そこそこしか生きてないくせに、いっちょまえに、人生に迷い、将来を憂いていたあの日々を。柑橘系の香りと、らいおんハートに包まれつつ、眠りについたあの夜を。ロング缶とミニ缶を付き合わせた、あの乾杯のことを。

小林 慎太郎

投稿者: 小林 慎太郎

1979 年東京都生まれ。立教大学社会学部卒。IT企業にて役員を務めるかたわら、自身の言葉や文字で想いを伝えることに対して苦手意識を持っている人を支援するため、ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供する<デンシンワークス>(dsworks.jp)を運営。 <著書>『ラブレターを代筆する日々を過ごす「僕」と、依頼をするどこかの「誰か」の話。』(インプレス社)