1996年の小室哲哉

1996年。小室哲哉は絶頂にいた。1996年4月度のシングルチャートは、1位~5位を小室プロデュースが独占。安室奈美恵、華原朋美、globe、dos、trf、観月ありさ、篠原涼子、hitomi、H Jungle with t、鈴木亜美。小室プロデュースであれば何でも売れた。私生活では華原朋美と交際。華原朋美の代表曲『I’m proud』はこう始まる。

Lonely くじけそうな姿 窓に映して
あてもなく歩いた
人知れずため息つく

小室哲哉と華原朋美の栄華といちゃつきが凄くて、まったく歌詞に共感できなかったことをよく覚えている。


小室哲哉の全盛と僕の青春時代は、シンデレラのガラスの靴のように、ぴたりと符号する。『Body Feels EXIT』で踊り、『BOY MEETS GIRL』で胸を焦がす。『BE TOGETHER』をカラオケで友達とTOGEHTERし、『WOW WAR TONIGHT 』をウホウホと歌い上げる。喜怒哀楽も、愛しさもせつなさも心強さも、すべて小室サウンドとともにあった。

そして時は流れ、1998年が訪れる。宇多田ヒカルデビュー。ど素人の僕にも、宇多田ヒカルが異質、異次元であることはわかった。小室哲哉自身が「僕を終わらせたのは宇多田ヒカル」と明言しているように、宇多田ヒカルが登場してから、時代そのものだった小室サウンドが、急激に「時代遅れ」になっていった。曲が、歌詞が、白けていった。流行というのは恐ろしいもので、過ぎ去ったあとは「無」になるのではなく、「マイナス」になる。つまり、ダサいとなる。小室哲哉も、まさにそんな感じだった。

ただ、春の夜の夢のごとし。
気づいたら、あれだけ巷に溢れていた小室哲哉サウンドは、パタリと止んだ。

次に小室哲哉の名前を耳にしたのは音楽番組ではなく、ニュース番組だった。詐欺容疑での逮捕。ある投資家と音楽著作権を譲り渡す契約を結び、前払いとして5億円を受け取ったものの、実は著作権を持っておらず、詐欺の罪で逮捕。

驚愕した。詐欺で逮捕されたことではない。これがバレないと思った小室哲哉の無知と無垢に。あまりにもEZ DO DANCE。その後、エイベックスの松浦勝人社長の支援もあり、保釈。社会復帰を果たす。かつてほどの勢いはないものの、一時代を築いた威光は衰えることなく、ちょこちょことメディアで目にするようになる。

ようやく、大阪拘置所からも、過去の栄光からも解き放たれ、FREEDOMを手にしたのかな、と思っていたのも束の間、文春砲が直撃。怒涛の引退会見。

「僕は芸能人になりたかったわけではなく、音楽家になりたかった。ヒット曲を作りたかったのではなく、好きな音楽を作りたいと思っていた」

会見での小室哲哉の言葉に、かつての詐欺事件を思い出した。ああ、この人は本当に音楽しか知らずにここまで来たのだな、と。そしてこうも思った。そんなことを言わないで、と。僕の青春が、思い出が、生気を失った小室哲哉の表情に呼応するようにして、色褪せていくような気がした。


”音楽家”の定義はわからない。でも、確かなことがある。モーツァルトもシューベルトも、僕の人生には何ももたらしていない。でも、小室哲哉はそうではない。僕の人生に多大な影響をもたらした。僕の過去を振り返る時、そのBGMには必ず小室サウンドが流れている。喜びの朝も、悲しみの夜も、常にそこには小室哲哉がいた。

Don’t wanna cry.
I’m proud of you.

小林 慎太郎

投稿者: 小林 慎太郎

1979 年東京都生まれ。立教大学社会学部卒。IT企業にて役員を務めるかたわら、自身の言葉や文字で想いを伝えることに対して苦手意識を持っている人を支援するため、ラブレター代筆、プレゼンテーション指導、スピーチライティングなどをサービスとして提供する<デンシンワークス>(dsworks.jp)を運営。 <著書>『ラブレターを代筆する日々を過ごす「僕」と、依頼をするどこかの「誰か」の話。』(インプレス社)